2014年10月3日金曜日

研究所の織姫さま



自由学園生活工芸研究所の制作には二つの部門があります。これまで紹介してきたコルクの積み木やぬいぐるみを作っている「玩具部」、それから染めのスカーフなどを作っている「織物部」です。今日はその織物部のリーダーである本橋安希子さんを紹介します。


本橋さんは織物を専門としています。言ってみればここの織姫さま。織姫さまっぽいきれいなロングヘアーの持ち主です。でもあんまりあんまり化粧っ気がなくてボーイッシュな感じがするところも魅力です。そして年齢も不詳です。


さて、織姫さまも自由学園の卒業生。自由学園というのは土曜日の全授業が美術、というすごい学校なのです。なので美術系に進む人も少なくなく、彼女もまた、学生時代から美術が得意だったらしいです。


といっても彼女の場合、お父さんもデザイナー、主に看板を作っていたとか。それで子どものころから家には色鉛筆その他、さまざまな美術道具がそろっていたというわけです。箸より先に色鉛筆を握っていた子供だったのです。


自由学園には、幼稚園(「幼児生活団」と呼ばれている)から入って、最高学部(大学に相当する)では、日本画を専攻しました。そこで「余白の美」に目覚めたとか、渋い!


卒業後はスタジオジブリに入って、『もののけ姫』のような背景画を描きたかったそうですが、惜しくも入社はかなわず、学生時代にアルバイトをしたことのあった生活工芸研究所からお誘いを受けたとのこと。


入社後の2年間は研修期間として、おもにヨハネス・イッテンの色彩論を学んだそうです。ヨハネス・イッテンとは、戦前ドイツにあった建築・美術学校バウハウスでデザインを教えていた、たいへん著名な先生です。


今から73年も前の1931年、自由学園の二人の卒業生(山室光子さんと笹川和子さん)がデザインを学ぶために、バウハウスに留学しています。ヨハネス・イッテンに師事し、その後、独立したイッテンのデザイン学校にも行きました。彼女たちが帰国後に創めたのが、生活工芸研究所の前身なのです。とても古い歴史があるのですね!
http://www.jiyu.jp/kougei/profile/history.html (生活工芸研究所の歴史)


そして研究所の織物部では、いまでもイッテンの色彩哲学を大切にしています。本橋さんによると、イッテンは竹久夢二が好きで、日本のワビサビの分かる人物だったのだそうです。彼の三原色は、通常のマジェンダ、シアン、イエローとはちがうもので、独特の美しさがあるらしい。


たしかに、研究所の代表的な縞模様のテキスタイル「プラネテ」の色調は、西洋のストライプとはちょっとちがいます。縞ほど「和」ではなく、そうかといって、ストライプほど「洋」でもない。微妙な色加減でできています。





本橋さんを中心とした織物部では、毎年この「和ストライプ」の新色を発表し、バックやエプロン、スリッパなどを作っています。糸から染めて国内の織職人に作ってもらっているので、高品質、丈夫で美しい色が長持ちするのが特徴です。詳しくはこちらをご覧ください↓
http://www.jiyu.jp/kougei/item/cloth.html



和ストライプの「プラネテ」だけでなく、「織」と呼ばれるシリーズと「トゥイル」シリーズも人気です。それらについてはまたご紹介しましょう。


最後に、織姫さまの一押し商品の「スクエアサック」です。



スクエアーサック
ちょこっと「プラネテ」が使われている


これはお客様のリクエストにこたえて商品化された「大人のリュック」。背負ったら閉まる口、A4・B4サイズも入るのにスマートなフォルム、さらに400gという軽さが特徴です。
商品の詳細↓
http://store.shopping.yahoo.co.jp/jiyu/b052-233.html


織姫さまが機を織る姿を見ることもできます。ご希望なら、直々に機織りを教えてもらうこともできます。機織り体験してみたい方はぜひJMショップにいらしてくださいね!


織姫さまに機織りを習う男子の図



先日、新聞に載った織姫さま(左)






1 件のコメント:

  1. 昔、織物にあこがれました~。機の前に座って、トントン…。子どものころ読んだ鶴の恩返し、七夕の織姫様のロマンチックなイメージがあったので。
    結婚して、夫の母が趣味が織物、時々手織りの品をプレゼントしてくれ、やっぱり今も憧れている自分を再確認するのですが、実は機織というのは、実に地道な作業が続くことも知って、忍耐力のない私は、憧れて終わりそうな予感です。

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